彼はなぜ、伝説となったのか?

2011.08.12

アメリカ人のいう、カジュアルという言葉を考えるとき、ジェームズ・ディーンは大切なキーワードになるので、もう少し続けよう。ディーンは、最後の作品になった「ジャイアンツ」を撮り終えた3週間後の、1955年9月30日、メカニックのロルフーウースリックと、トラックにポルシェスパイダーを積み、カーレース出場のため、カリフォルニア州のサリナスに向かう。スパイダーは輝くばかりのシルバーグレイ、1955年製の新車である。レース出場のための、ゼッケンナンバーは130だ。130という不吉な数字を、ディーンがカジュアルな気分で選択したのか、割り当てられたのかは不明である。グレープヴァインで、警察官に違反切符を切られるが、そのときはまだスパイダーはトラックに積まれたままだ。そのすぐ後で、グレープヴァインのコーヒーショップに立ち寄り、スパイダーをトラックから下ろす。慣らし運転のためである。スパイダーはそのまま西に向かい、グレープヴァインからおよそ30マイルの地点で、ディーンはリンゴとミルクシェイクを買う。東から西に向かったポルシェに対して、西から東を目指していた、ドナルド・ターナフシーが運転するフォードが衝突したのは、その少し後の午後5時45分、2台の車が、同時にハイウェイ41と466のジャンクション(交差点)に突人した直後だった。フォードが左折を試み、ポルシェはそのまま直進し、ポルシェの左側面がフォードの正面に激突した。ディーンは首の骨を折り即死、遺体はセントラルカリフォルニアのバサロブレス病院に運び込まれる。翌日の新聞のヘッドラインは、こうだった。ディーンの死に至るまでの足跡である。この劇的な死が、彼の死後の人気の定着に少なからず影響しただろうことは間違いない。悲しみは神話を作りやすいという状況もある。だが気になるのは、時代が下ってもディーンの人気が、それ以降のスーパースターをある部分で凌ぐ勢いがあることだ。これは尋常ではない現象である。こんな例はほかに見あたらない。そこで、彼の死後に書かれた書物や映像を点検してみると、ひとつの現象が浮かび上がってくる。「彼(ディーン)のスタイルは、非常にエキサイティングだった」「彼のスタイルを真似る若者が、彼の死後たくさん出てきた」「彼の生き方を敬う」といった類の言葉が非常に多いことである。映画の中のティーンを、彼のライフスタイルにオー・バーラップさせ、そのカジュアルな人生ないしは思想に憧憬しているのだ。ジェームズ・ディーンその人でなく、何よりもディーンの「生き方」と「スタイル」なのだ。死んだ役者で、没後に語りぐさになった人はいる。だが、彼ほど長い間、語り継がれた人は希だ。確かにスティーブーマックィーンは、「傷だらけの栄光」「拳銃無宿」シリーズで脚光を浴びた。無名なアメリカの若者だったことは、ディーン同様である。50才で病に倒れるまで、何本かの名作を残した。だが語り継がれるべき対象は、あくまでも作品の中だけである。彼自身の存在の証明、換言すればディーンのような個の自由奔放さは、あまり伝え洩れてこない。確かに個性的でカジュアルなスーパースターだったが、アメリカのある部分を変質させるまでには至らなかったような気がするのだ。

[参考サイト]
AVIREX通販
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ミリタリージャケットについて
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